会社不適合者が50歳で起業するまで
はじめまして。田代と申します。
ここでは、大学卒業後25年以上もの間、大企業の会社員として働いてきた私が、なぜ、50歳を機に安心・安全な立場を捨てて起業したのか、ということについてストーリー風にお伝えしていきます。
正直な話、私の会社員生活は、順風満帆とは言えませんでした。
むしろ、“不器用”であるが故に、会社組織の論理・常識に翻弄されてきました。
カッコ悪過ぎ・ダサ過ぎな“黒歴史”そのもので、今振り返っても胸が締め付けられる思いがします。
とても恥ずかしいので、本当は表には出したくはありません。
ただ、痛い経験の中から得られた大事な気付きがあり、また、それらが自分自身の転機にもなったのは確かです。
なので、恥を忍んで今回お伝えすることにします。
全部本音で書いていますので、上っ面をなぞったその辺のビジネス書を読むより、ずっと面白いかなと。
■はじめに
最初に、私の自己紹介について簡単な流れをお伝えすると・・・
↓
3年で退職し事後報告。父親に泣かれたった(゚Д゚;)
↓
【無職・引きこもり地獄】米国から帰国して仕事なく鬱状態
↓
【パワハラ地獄】11か月で9人辞める壮絶な職場
↓
金融関連資格(証券アナリスト・1級FP技能士)を取得し、実務経験に基づく知識を整理
↓
母親が怪しい投資話の沼に嵌まってた!セミナーに凸し主宰者とガチンコ対決
↓
1口5千万円の大口投資家のリストからの気付き
↓
失敗を繰り返しながらも給料以外に自力でキャッシュフローを生み出し価値観崩壊
↓
大金を支払い起業家に師事して知った、度肝を抜く異次元な世界
↓
情弱IT音痴オジサンがネットビジネスの世界へ(ゼロから月間約40万PVのメディアに育てる)
↓
サラリーマン的お作法に不器用過ぎて干され、“社内ニート”に
↓
エクセルVBAの実践で社内業務を一変させるも、評価で×喰らう
↓
自宅購入の際、不動産業界の闇に気付く
↓
不動産オーナーとして、案件発掘・資金調達・契約(入札/落札)・ゴミ屋敷片付け・再生(DIY含)・客付け・裁判等を経験
↓
不動産関連資格(宅建士・賃貸不動産経営管理士(未登録))を取得し、実践力と知識を強化
↓
従来型とは違うカタチで不動産業界に新規参入
と、なかなか激動の時間を過ごしてきました。
ずいぶんと長い間、私は
「働く」こと=会社に勤めること
「稼ぐ」こと=大きな会社で働いて給料をもらうこと
と捉えていました。
ふつーのサラリーマン家庭で生まれ育った私は、何の疑問も持たなかったのです。
しかし、自力で稼ぐ “あっち側”の世界を知り、価値観がどんどん変わっていきました。
それは、自分の知識やアイディアで、自らビジネスを創り出し、お客さんからも凄く感謝される、という世界。
私は、自分より一回り以上も若い起業家に教えを請い、これまで1千万円近く身銭を切り、自己投資してきました。
師匠の話を聞くたび、
「こ、こんな世界があるのか・・・ワケワカラン(汗)」
と私はガツンと衝撃を受けていました。
同時に私は、憧れを抱きました。
しかし、“あっち側”の世界へ、スグに自分の小舟をこぎ出すことはできませんでした。
なぜなら、長い間刷り込まれてきた価値観が、メンタルブロックとなっていたからです。
確かに大企業は、福利厚生など恵まれている部分がたくさんあります。
その一方で、社内調整とか、中学校の校則みたいな独特のルールとかお作法とか、ビジネスの本質とは直接関係ないことも山ほどあります。
そこにかなりの「時間」や「エネルギー」を費やさなければならない現実。
生活を維持するための“ライス”ワークで得られる安定感・安心感と引き換えに削られていくココロ。
いつの間にか、“こなす人生”を送っていました。
それでも自分の中に、「このまま終わってたまるか!」という感情の“火種”がまだ残っていました。
だから、日常の無限ループを繰り返しつつも、私は会社の外でネットビジネスや不動産投資で少しずつ知見を積み上げていきました。
すると、次第に、培ってきたこの知見を、自分らしいやり方で、直接的に人に役立てたい、という思いが自分の中で大きくなっていきました。
既に年齢は、50代に突入し、人生の後半戦。
身軽な独り身ではなく、まだ小学生の子どももいて、住宅ローンも残っています。
□ やるべきではない理由
□ 踏み止まるべき理由
□ 想定されるリスク
など挙げたらいくらでも出てきます。
周りからは、「そんなうまく行くもんじゃないって」「現実を見ろ、やめとけ(失笑)」「大企業で安定した給料もらってるのになんで?」 みたいな反応。
確かに自分でも「アホだな・・・」って思うところはあります。
でも、今このタイミングで決断しなければ・・・
□ この先も一生決断することはない
□ 会社に依存し続け、しがみつく選択肢しかない人生になる
□ 会社員生活終了後は、年金頼りに細々と暇な時間を過ごすだけ
□ きっと、人生の最期に「あの時決断するべきだった」と絶対後悔する!
と思ったんです。
私はこれまで、大手金融グループ会社やシンクタンクなどで投融資業務、法務・リスク管理業務、また、アナリスト業務等を経験してきました。
不動産会社での勤務経験はありません。
しかし、個人で不動産のオーナーとして、物件の調査・資金調達・入札/落札・再生・客付・運営管理等、一連の実務を全て経験してきている当事者です。
また、関連の資格を取得し、その知識を実践に活かしています。
このように私は、自発的に知識を吸収しつつ、当事者としての経験を有しています。
とはいえ現状「大企業のカンバンがなくなったオッサンなんて、怪しいわ!」とツッコミを入れたくなっているかもしれません。。。(汗)
なのでこれから、私の経歴も含めてシェアしていきます。
ダサい自分、カッコ悪い自分を“フ〇チン” でさらけ出し、本音ベースで語っていきます。
その方が断然、私のことを理解してもらえると思うので。
その上でなお、「やっぱコイツ、生理的に無理だわぁ~」とか感じるかもしれません。
もちろんその時は、お互いにご縁がなかったということで。
でももし、少しでも「なんか面白そうじゃん・・・」と感じてもらえたら、このまま読み進めてみてくださいね。
ここから先は、私の実体験から得られた気付きをシェアしていきます。
■有名大学→大企業就職で「人生開けた」と勘違い→3年で退職→父号泣
「オレ、ラグビーで花園行きたい・・・」
テレビドラマ「スクールウォーズ」の再放送を観て涙し・心が揺さぶられた。
単純な私は、ラグビーの名門校かつ進学校を目指した。
でも結果は、あっさり不合格。
悔しさのあまり、力任せにパンチ。
自分の部屋の壁に穴が開いた。
大した準備もしていないのに、根拠のない自信だけは人一倍。
「そりゃ落ちるわな・・・」
という根本的な原因に、この時点でやっと気づいた。
結局、近隣の県立高校へ進学。
高校受験の悔しさをバネに、今度は難関の私立大学に行くことを目標に掲げた。
周りは、
「はぁ?お前、ナニ寝言言ってんだ?(笑)」
「ウチの高校から行けるわけねーだろ!」
みたいな反応。
それでも私は、「今度はやりきったぞ!」という自分への納得感、そして結果が欲しかった。
孤独に突き進んだ暗く長いトンネル・・・
そこから、合格という結果を手にする。
生れてから初めて「報われた」という実感が持てた瞬間だった。
大学生活を経て就職活動。
当時は就職氷河期だった。
それでも私は、東証1部上場(当時)の大企業からいくつも内定を獲得した。
「オレの人生、開けたんじゃね・・・?( ´艸`)」
なんて、完全に天狗になっていたことを覚えている。
しかし、入社してから早い段階で、私の小生意気な“鼻っぱし”は、いとも簡単にへし折られることになる。
とんだ“カンチガイ野郎”だったのだ。
難関の就職戦線を勝ち抜いてきた同期は皆、超優秀。
じゃあこの先、10年後、20年後はどうなっているのか。
自分の将来像となるモデルを探すべく、私は巨大なピラミッド組織の底辺から見上げてみると、「こうなりたい!」というモデルが全くと言っていいほどいなかった。
むしろ、
「あぁ、こうはなりたくない・・・」
と思うことの方が多かった。
辞令ひとつで、北海道にも、北陸にも、九州にも、何の縁もゆかりもない地にスコーンと飛んでいく。
高額のローンを組んで新築のマイホームを購入した直後だってお構いなし。
家族を置いて地方に単身赴任していく先輩を私は何人も見送った。
超大手企業のブランドや高い給料と引き換えに、会社への依存度が高まっていく働き方。そして、生き方。
「オレもこうなるのか・・・」
「オレの人生、詰んだ・・・」
と愕然とした。。。。_| ̄|○
そこから、
「茹でガエルになる前に、飛び出さないと」
という思いが強くなり、3年で退職。
会社を辞めたことは、親にメールで事後報告した。
後日、父親から直筆の手紙が届く。書き出しはこうだった。
「突然のことで頭が真っ白になり、涙が出た。」
父親がショックを受けるであろうことは事前に予想できた。
(ただし、泣かれたのは想定外・・・)
中堅企業を定年まで勤め上げた父親からすれば、「一体どうしてなんだ・・・」という気持ちが大きいはず。
でも、事前に相談すれば、引き止められることはわかっていた。
だから、それはしなかった。
■米国から帰国して無職!鬱状態で引きこもり地獄
当時若造だった私は、「米国に行けばなんとかなる」という、すごく短絡的で安易な考えだった。
確かに、米国ではこれまでが嘘のように生活が充実し、この世の楽園のように思えた。
1年過ぎて年末に帰国。
国際空港での実務経験や900点を超えるTOEICのスコアを武器に、意気揚々と再就職活動を開始。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
むしろ、地獄への入り口。
景気やタイミングなのか、応募できる企業自体が少なく、なかなか仕事に就けない。
平日の日中だというのに、何もすることもない。
いい歳した男が、実家の自分の部屋のベッドの上でただ時間を過ごす。
「オレはこの世にいなくてもいい人間なのではないか・・・」
湧き上がるネガティブな感情。
職にありつけず、部屋に引きこもる日々。
やり場のない怒り。
気が狂いそうになった。
実際、何度も発狂。
超氷河期にもかかわらず就職した大企業をあっさりと辞め、勝手に米国へ渡り、その後実家に居候の身分となっていた私は、父親に合わせる顔がなかった。
そんな私の心情を汲み取ってか、父は私に何も言ってこなかった。
それが当時唯一の救い。
■【パワハラ地獄】11か月で9人辞める壮絶な職場
結局、また大企業に戻ることにはなった。
それでもやっぱり、“順風満帆”とはならなかった。
今度は、壮絶なパワハラ地獄。
そこは、会社の自己資金を運用する職場。
そこの権力者(”金正日(キム・ジョンイル)”=裏のあだ名)から目を付けられた者は、精神的に追い込まれ、心が折れ、やがて退職していく。
短期間のうちに辞めていく同僚を私は何人も見送った。
その”金正日”の上司にあたるオッサンは、たいそうご立派な肩書が付いてはいる。
けど実質はお飾りの管理職で、“見て見ぬふり”を決め込んでいた。
やがてまた一人が心折れて職場を去り、ついに“次のターゲット”はこの私に。
もともと、不器用でサラリーマン的な所作が不得手な私は、パワハラに遭いやすいタイプなんだと思う。
”金正日”から罵声を浴びせられ、会議でも激詰めされる日々。
職場にいる1分1秒が緊張し過ぎて、ただ「息を吸って吐く」という当たり前過ぎることが、とても難しいことのように感じられた。
呼吸が浅くなり、体中に酸素が行き渡らず、「苦しい、頭がイタイ、吐き気がする・・・」
世界の金融マーケットを相手に億単位の資金を運用する仕事自体には、面白さはあった。
ただ、鈍感力が自慢の私でも、さすがに精神的に追い込まれていった。
当時の私は、「今はココにしがみついていく以外の選択肢はない」と感じていた。
なので、極限の精神状態でありながら、自分の専門性を少しでも高められるよう、限られた時間を学びの時間に費やした。
その結果、
□ 証券アナリスト
□1級ファイナンシャル・プランニング技能士
という金融系の資格を取得。
達成感があったのは確かだが、それはその瞬間だけの感情。
その後、職場環境が激変したということもなかった。
■母親が投資詐欺の沼にハマっていた!セミナーに凸しガチンコ対決
もちろん、得た知識が人の役に立ったかな・・・と思えた出来事もある。
例えば、母親を怪しい投資話の泥沼から救い出したこと。
母から初めてその投資話を聞いたとき、私は胡散臭さを感じた。
そこから、母と一緒にその投資セミナーに乗り込んだ。
講師の男は、高身長・イケメン・リップサービスありで、胴長短足の私とはまるで正反対。
この後、ここで展開されるインチキ話に私は憤りを覚え、そのイケメン野郎とガチンコ対決を挑むことになる。
※この顛末は長くなってしまうので、ここでは割愛します。
別記事にしたこちらのストーリーもお楽しみください。
※リアルで臨場感あるこのストーリーについては、他の被害者(家族)などから反響もいただきました。
■1口5千万円の大口投資家リストからの気づき
投資案件の組成を行っていた時期もある。
100億円規模の投資案件で、出資可能な単位は1口5千万円。
これに何口も投資するような投資家も存在する。
一般的な感覚からすると、ちょっとけた違いな世界。
・・・一体何者?
ちょっとした好奇心から、私はこの案件の投資家リストについて調べてみた。
手にしたリストから浮かび上がってきた投資家たちの共通点。
それは、皆自分でビジネスを所有するオーナーだということ。
同じ人間なのに、なぜこんなにも違うのか?
私はこれまで、やれ英語だ!やれ資格だ!と個人の技能・スキルを上げることばかりに注力してきた。
そのことが、自分の評価・給料upにつながる、そう信じていたから。
でも、それは労働者としての評価基準にしか過ぎない。
(むしろ、組織内では”忙しい感”、”頑張ってる感”をアピールした方が◎ ^^;)
オーナーの思考は、労働の時間をお金に換算する“時給脳”ではないのだ。
お金を生み出す仕組みを所有する、という発想。
「自分もオーナーになりたい・・・」
「そのためにもまず、自分で稼げる力を身に付けよう。」
今振り返ると、これが自分の中で大きな転機になった。
■失敗しながらも自力で稼ぎ価値観崩壊
「自力で稼ぐようになる!」
と決意したからと言って、マンガみたいにすぐうまくいくわけではなかった。
なんせ元が不器用なのだから。
例えば、トルコ製高級タオルの輸入販売を始めようとするも、早速騙されなけなしの数十万円を一瞬で失った。
それでもあるとき、中古品を販売して現金化に成功。
「こんなゴミみたいなモン誰も買わんだろ。」と疑問に思いながらも出品してみたら、思わぬ高値で売却。
しかも、感謝までされて・・・想定外の出来事。
少額だったけど、自分で稼いだという事実に、「っしゃー、やったぜー!!!」と雄叫びを上げた。
職場の お作法をキチンと守り、お行儀よくしていることで、毎月決まった日に“お上(会社)”から振り込まれてくる“俸禄(=給料)”とは、全く意味が違う。
何者でもない自分がゼロから稼いだファーストキャッシュ。
実に感慨深いものがあった。
自分でWebサイトを構築して、メディアのオーナーにもなった。
全くの異分野だったから、最初は半信半疑。
「IT音痴のおっさんのWebサイトなんて、一体誰が見に来るというんじゃ!」
という感覚。
で、やっぱり成果は上がらない。
「ほらな、やっぱりそうだ!」
「オレなんかができるはずない!」
とか、なんか妙な自信というか確信というか。
でも一方で、世の中には結果を出せている人もいる(らしい)。
「そういう人に教えてもらえたら、オレも変われるのかも・・・」
と、かすかな希望を持っていた。
・・・気になる
でも、なんか怪しい
やっぱ、やめとこうか・・・
いや、もしかしたらオレも・・・
待て待て。いい歳したオッサンが何を今さら・・・
試しに講座を受けてみようかなな・・・
うわっ、(受講料)高っか!
これ詐欺じゃね?
振込んだらドロンのパターンじゃね?
・・・でも、やっぱ気になる
みたいな葛藤を何カ月もグルグルと繰り返していた。
そんなことして月日が経過しても、一歩も進んでいない現実。
最後は「もう騙されてもいいか・・・」という気持ちで大金を投じた。
結果的に、私のこの決断は正しかった。
私が師事したのは、言ってしまえば、
・ 自分より1まわりくらい年下の若ゾー
・ 世の中的には全くの無名
・ 学歴とか職歴とか世間一般の判断基準で考えたら私の方がいいくらい
それでも私はその人を師として教えを請うた。
正直、度肝を抜かれた。
「こ、こんな世界があるのか・・・」
これまで、いかに狭い世界に生きてきたのか、いかに労働者思考に囚われていたのか、ということに気付いた。
けど、ムリもない。
お勉強して、いい大学に行って、いい会社に就職して、お行儀良く振る舞って、社内で評価してもらって、いい給料をもらうか、というのが長年刷り込まれてきた価値観なのだから。
おそらく組織で働く人間の大半(99%)は、この”お上(かみ)から給料をいただく“、みたいな発想。
私は最初、師匠が見せる異次元な世界の話に、面食らってしまった。
教えてもらったことを自分の中で消化しきれず、なかなか結果が出ない。
「まず、ネットで月10万円稼ぐ」という目標を立てたものの、それが天文学的に高く感じられた。
それどころか、ゼロ円→1円にするというハードルですら、高く感じられたほど。
それでも、かすかな「可能性」を感じていた。
だから、録音・録画した師匠の話を何度も聴いて、学んだことをコツコツ実践。
これの繰り返し。
不器用な自分には、これしかできない。
結果的に、ゼロから立ち上げた自分のサイトが月間約40万アクセスのメディアに育てることもできた。
こうした経験からの気付きは、「誰の話に耳を傾けるか、というのはとてつもなく大事」ということ。
もしあの時、私が大手の著名コンサルタントみたいな立派な肩書を判断基準に選んでいたら、より高額な費用をかけた割には、納得できる結果は出なかったと断言できる。
■干されて社内ニートになったことでの気づき
サラリーマンとしては相変わらずのクズだった
・ クソどーでもいい仕事を増やして「忙しい」アピールするとか
・ たくさん会議に出て“仕事してる感”出したりとか
・ 口では「全然休めないよ~」とかぼやきながらドヤ顔で“休んでいない自慢”するとか
・ 中学校の校則のような社内のお作法を守るためのマニュアルとかチェックリストを何度も改定するとか
・ 台風直撃とかしても定時出社して、会社への“忠誠心”を示すとか
私には、こうした“基本”をキッチリやることが無理だった。
やることやって定時になったら空気を読まずに「じゃ、お先に失礼しまーす」とスタコラサッサと退社。
当然、”基本”を忠実に行ってきた上司からは目をつけられる。
「干される」という言葉は知っていたけど、自分には無縁な話だと思っていた。
なぜなら、仕事さえキッチリやっていれば、そんな目に遭うわけがない、とたかをくくっていたから。
でも、あの時はまさに自分が会社組織から”干された”瞬間だった。
そこから、いくつも部署をたらい回しされ、“社内ニート”に。
異動した先でも、パワハラとかモラハラにも遭った。
そんな散々な目に遭って、“サラリーマンとしての至らなさ”を反省したのかというと・・・そんなことは全然なかった。
仮にドラえもんの”タイムマシン”で過去に戻れたとしても、上司に忖度して、ヨイショして、付き合って残業して・・・なんてできなかったと思う。
私はこの“機会”を利用して、外に出ても食っていけるようにしておこう、というマインドセットに切り替わっていた。
とある部署では、業務上のミスが多発しており問題となっていた。
複雑で非効率な事務処理方法に問題があることは明らかだった。
普段「何でも相談してくれ」と言っていたその部署の責任者に、現場の担当者が実際に相談してみると・・・
「で?」
「どーすんだよ?」
「オマエの仕事だろ!?自分で考えろよ!」
「仕事への意識が低いんだよ!」
と叱責されただけだったという。
職場でよくみかけた光景。
もっとも、その件は自分が直接携わっている業務ではなかった。
だから当初私は、無関係の立場を貫いていた。
現場の担当者達は、日々深夜まで残業し、疲弊しているのがわかった。
その様子を傍から見ていて、ふと私の頭に蘇ってきたのは、かつてのパワハラ職場での出来事だった。
あの地獄の職場で精神的に追い詰められ、今にも心が折れそうだった。
実は、そんな私を見かねて、救いの手を差し伸べてくれた人がいた。
その人にとっては、私を助けたところで何の見返りもメリットもないはずだ。
でも、こんな私に手を差し伸べてくれた。
我に返った私は、「今こそ自分が“恩送り(=ペイフォワード)”する番だ」と感じた。
そこから私は、かつて習ったことがあるエクセルVBAの手法を学び直し、それをもとに作成したツールを提供。
その結果、その業務が一変し、現場の担当者からとても感謝された。
それでも、私の評価は相変わらず低いまま。自分が疎まれているのだから仕方ない。
複業により会社への依存度を下げていたこともあり、会社員としての評価はもう正直どうでもいい、という感覚。
それよりも、
● 自分が受けた恩のバトンを次に渡せたこと
● 自分の知見が人の役に立てたと実感できたこと
の方がずっと嬉しかった。
■会社不適合者でむしろラッキーだった
ここまで読んでもらってお気づきの通り、会社員として全くダメダメな人間です。
不器用でサラリーマン的お作法が下手くそで、パワハラに遭ったり、部署をたらい回しにされたり、もう散々でした。
ただ、どんな時でも私は、意気消沈して、守りに入る、なんてことはなく、むしろ、「なにくそ!今に見てろよ!」とファイティングポーズを取り続けてきたわけです。
不器用だからこそ、身銭を切って学び、失敗を繰り返しながら、実践してきました。
ちょっと勇気を出して、知らない世界に恐る恐る足を踏み入れてきました。
そのおかげで、自分の学びや気付きをシェアしたことで、人に喜ばれたり、感激すらしてもらえたりしたことがあります。
自分に嘘をついて、会社組織の論理を優先させるのではなく、自分の信念に従って、自分の知見を活かして直接的に人の役に立ちたい、そう思うようになりました。
■全ては「まっとうした!」と実感できるために
私自身はもともと金融分野が専門で、事業投資等の実務に携わってきました。
個人としては、収益不動産のオーナーとして物件を取得・管理・運営してきた経験があります。
また、実践してきた知識の体系的な整理として金融や不動産関連の資格も取得しています。
それらを踏まえ、不動産の資産整理に関する事業を立ち上げました。
不動産の売買取引は、ほとんどの人にとって、一生のうちにそう何度も取引をするものではありません。
もちろん、不動産なので「モノ(物件)」が取引対象です。
しかし、不動産の取引はその人の人生における一大イベントであり、課題を解決する「コト」です。
不動産は身近なものですが、取引は高額で法律・金融・税務などがからんで複雑です。
モノ(物件)だけを中心に捉えていると、人生を大きく踏み外してしまうこともある、ということを経験上知っています。
なので、私は、
・モノ(物件)ではなくコト(課題解決)が中心
・取引がお客様との関係の「ゴール」ではなく「スタート」
と捉え、自分の知見を社会に還元する、という考えのもと事業に取り組んでまいります。
“こなす”人生ではなく、自分の最期に「やり切った!まっとうした!」と実感できるように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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