「40代を過ぎたあたりから、人間ドックでいろいろ指摘されるようになった。
でも、日常生活には特に支障がないからまだ大丈夫でしょ。」
人はどうしても、“今じゃなくてもいいこと”を先送りにしてしまいます。
私自身も、かつてはその一人でした。
未来のことより、目の前の仕事や日常のことで手一杯。
だから「いつかやろう」と思いながら、その“いつか”はずっと先だと信じていたのです。
でも、父に突然ふりかかった出来事が、私のその考えを根底から揺さぶりました。
父の透析生活のはじまり
父は、どこにでもいる普通の会社員人生を送った人でした。
肥満でもない、大酒呑みでもない。
週末にはゴルフに出かけたり、友人と小旅行を楽しんだり。
年齢相応に多少の持病はあったものの、「健康的に年を重ねている」と思っていました。
ところが、ある日、
「透析専門の病院を紹介しますね」
主治医から突然こう告げられたらしいのです。
そこから、父は人工透析の生活が始まりました。
その知らせを受けたとき、私は正直あまりピンときませんでした。
「へー、そーなんだー、大変だね。まぁ、歳なんだからそういうこともあるんじゃない?」
そんな程度にしか捉えていなかったのです。
人工透析という言葉は聞いたことがあっても、それがどんな現実を伴うのか、私は全然理解していませんでした。
透析の現実を目の当たりにする
ある日、帰省した際に父を迎えに透析クリニックへ行ったことがありました。
その光景は今でも強く心に残っています。
ベッドがずらりと並び、横たわる透析患者の方々。
機械に体をつなぎ、じっと何時間も動けずに過ごす人々。
その中に、私の父も静かに横たわっていました。
人工透析は、一度始めたらやめられません。
1回に約5時間、週に3回。
「他に用事があるし、面倒だから今日はやらなくていいや」
なんてことはできないのです。
生活は透析を中心に回るようになり、自由は大きく制限される。
その現実を見た瞬間、私の胸に重たいものがのしかかりました。
…心の中で叫びました。
「オレ将来、絶対人工透析にはなりたくない!」
父が透析生活に入ってからは、旅行も外食も自由にできなくなり、時間の制約が増え、人生そのもののリズムが変わってしまいました。
私が学んだこと
人工透析の主な原因は、糖尿病性腎症。
その糖尿病は、多くの場合、日々の生活習慣が引き金となって起こります。
父の場合は糖尿病ではなかったのですが、世の中では実際に生活習慣の乱れが原因となって透析に至る人が多いそうです。
“健康を先延ばしにしていたツケ”を一気に払うことになる。
つまり——
「まだ大丈夫」
「いつかそのうちに運動すればいい」
「これくらい平気だろう」
そうやって健康への投資を後回しにしているうちに、ある日突然「手遅れ」になるのです。
父の姿を通して、私は強烈に学びました。
“先延ばしは、突然の手遅れを呼ぶ”
これが現実だ、と。
家の整理も同じ
この“先延ばしの怖さ”というのは、家の整理にも当てはまります。
「親が自分で何か考えてるんじゃないの? 将来、自分たちが実家に戻って住むことはないしね」
「空き家になった実家は、とりあえずまだそのままでいいんじゃない?」
私たちは、ついそう思って後回しにします。
けれど、その間にも時間は流れ、状況は変わっていきます。
親が認知症になって名義変更が止まる。
相続の場面で兄弟が揉める。
空き家が「特定空き家」に指定されて、固定資産税が6倍に跳ね上がる。
そのときになって慌てても、もう“透析”と同じ。
もはや後戻りできないことも多いのです。
結び:いま動くことの大切さ
健康も、家の整理も。
どちらも「先延ばししても一見、問題はないように見える」ように見えます。
でも、先延ばしのツケは必ず未来で払うことになるのです。
父の透析から学んだことを、私は強く胸に刻みました。
「あとでやろうは馬鹿やろう」
この学びを、次回は「なぜ家の整理は“いま”必要なのか?」というテーマで、さらに具体的に掘り下げていきます。
あとがきコラム
父の透析をきっかけに、私もプチ“健康オタク”になりました。
- 食材は添加物表示をよく確認してから買う
- 買ってすぐ食べられるものではなく、自分で料理する
- 日常的にウォーキングを取り入れる
- ヨガも継続する(最初は男子ひとりでアウェー感がすごかった…笑)
そのおかげか、典型的なオジサン体型にはなっていない…と(自称ですが)思っています。
子どもの頃からの友人には「小学生の頃とあんま変わってないな」と言われます。
ただし正直な話、小学生時代は“すでにオッサン臭かった”らしいですが(笑)。