夏休み、小学6年生の娘と一緒に高知へ。
(創業期なので本当は旅行どころではありませんが、娘が一緒に遊んでくれるのは期間限定なので…)
坂本龍馬、桂浜、高知城、カツオのたたき――と、全国的にも有名な観光地がひしめく土地です。
その中で、ふと私が「行ってみたいな」と思ったのが、播磨屋橋(はりまやばし)。
子どもの頃、運動会で踊った「よさこい節」にも出てくる橋です。
「土佐の高知の播磨屋橋で~坊さんかんざし買うを見た~♪」というあのメロディー、なんか耳に残りません?
私も当時は、意味もわからず元気に歌って踊ってました。
でも、大人になってあらためて歌詞の意味を知ってみると――
あれって、いけない“大人の情事”の歌だったんですね(笑)
坊さんが女性への“かんざし”を買うって、一体どういうことなんじゃ~!?って話です。
子どもの頃は無垢に口ずさんでた歌が、実はちょっとドキッとする内容だった。
大人になって“背景”が見えてくると、見える景色って変わるもんですね。
なんとなく「由緒ある立派な橋」だと思っていた播磨屋橋にも、ちょっと興味が湧いてきたので、今回の旅で訪れてみることにしました。
「……あれ?これなの???」
で、実際に行ってみたら……
見た瞬間、思わず言葉が詰まりました。
小さくて、めっちゃ地味。
正直、しょぼい(ごめんなさい)
後で調べたところ、なんとこの播磨屋橋、**「日本三大がっかり名所」**の一つなんだとか(笑)
でも、橋が悪いわけじゃないんですよ。
勝手に期待しすぎていた自分のせいなんです。
「ウチは大丈夫」と思っている人ほど、つまずく
この、
勝手に期待して、現実を知ってガッカリする
というのは、不動産や相続の現場でも同じです。
- 「うちの親はちゃんと考えてくれてるはず」
- 「兄弟仲はいいから、揉めることなんてない」
- 「不動産が残ってるから、老後も安心でしょ」
……誰にもそんなふうに言われてないのに、
自分の中で勝手に“理想像”が出来上がっている。
で、いざフタを開けてみると。
- 遺言はなかった
- 名義はバラバラ
- 不動産は売れない・価値が低い
- 兄弟間で意見が真っ二つ
まるで、播磨屋橋に期待しすぎたときのあの気持ち、そっくりです。
ガッカリするのは、期待した人だけ
播磨屋橋は、別に「私は立派な観光地です」と名乗っていたわけじゃない。
あくまで、こちらが勝手に「きっとスゴいはず」と思い込んでいただけ。
同じように――
- 親が「準備は万端」と言っていたわけではない
- 不動産が「価値がある」と保証してくれてるわけでもない
でも、“なんとなく安心”が心のどこかにあった。
それが、いざ現実にぶつかると「あれ?こんなもん?」となる。
“期待”の裏付けが曖昧なまま安心してしまうと、あとでしっぺ返しが来ます。
「こんなはずじゃなかった」の前に、現実を知っておく
播磨屋橋の件は、笑って済みます。
でも、不動産や相続になると、金額も、関係性も、人生もかかってきます。
いまのうちに、
“理想”ではなく、“現実”をベースに状況を確認しておく。
たったそれだけで、
「早めに気づいてよかった」と思える未来につながります。
まとめ
- 勝手な“理想像”は、勝手な“ガッカリ”に変わる
- 期待より、事実。(信じるな、疑うな、確かめろ)
- 「うちは大丈夫」ほど、チェックが必要
無料相談受付中
- 相続前にやっておくべき準備が知りたい
- 実家や空き家の「現時点での価値」が気になる
- 兄弟間でトラブルにならない整理方法を知りたい
そんな方は、お気軽にご相談ください。
「こんなはずじゃなかった」と思う前に、“現実”を一緒に確認しておきましょう。